■脱毛メニュー:人気ナンバー1の脱毛器「イーモ」ブログ:2016/7/25
おれは両親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でビールに溺れるパパ、
そのことでパパをなじる母。
そしてその怒りを姉貴やおれにぶつけ、
姉貴はその怒りをおれにぶつけていました。
家には居場所がない…
娘の時のおれは
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
母に見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
おれは当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
母は言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
おれがみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通の娘でしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないパパと母、姉貴との確執。
その時のおれの望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁をお腹にあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
日々のように思っていました。
そしてある時、おれは決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そしておれは一度だけ両親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
両親は頭を下げました。
でも、そんなおれでも
今は少しづつパパも母も姉貴も
許せていっています。
姉貴に娘が産まれ
実家で娘たちと遊ぶようになった時に、
姉貴から
「ありがとう」と感謝をされたことで
おれの中で何かがかわりはじめたんです。