■脱毛メニュー:痛みは我慢出来ないほどではないブログ:2017/4/18
私は親が本当に嫌いでした。
小さいころの記憶といえば、
家でお酒に溺れるお父さん、
そのことでお父さんをなじる母親。
そしてその怒りをお姉ちゃんや私にぶつけ、
お姉ちゃんはその怒りを私にぶつけていました。
家には居場所がない…
お子さんの時の私は
そう考えるしかありませんでした。
以前、実家に帰った時に
小学生の時に作った壁掛けがあったはずなので、
母親に見せてほしいと頼むと、
「捨てた」と言いました。
私は当然のように聞きました。
「なんで捨てるねん、小学生のとき作った作品で唯一残ってるやつやん」
母親は言いました。
「あの壁掛け吐き気するくらいキライやねん。
灰色とかなんともいわれへん色ばっかりやから」
その通りです。
私がみても30秒が限界なのですから…
小学生の持つ明るさなどまったくなく、
絶望という言葉がふさわしいような色だけでした。
そして中学、高校と
表面的には普通のお子さんでしたが
内面的にはどんどんゆがんでいきました。
変わることのないお父さんと母親、お姉ちゃんとの確執。
その時の私の望みはただひとつ、
「楽に死にたい」
何度も首をくくる練習もしました。
包丁を腹にあてたりもしました。
このまま目が覚めなかったらいいのに…と
毎日のように思っていました。
そしてある時、私は決めました。
「こいつらは赤の他人や」と。
そして私は一度だけ親に言ったことがあります。
「こんなゆがんだ性格にしたのはあんたらのせいや、謝ってほしい」と。
親は頭を下げました。
でも、そんな私でも
今は少しづつお父さんも母親もお姉ちゃんも
許せていっています。
お姉ちゃんにお子さんが産まれ
実家でお子さんたちと遊ぶようになった時に、
お姉ちゃんから
「ありがとう」と感謝をされたことで
私の中で何かがかわりはじめたんです。