■脱毛メニュー:口コミで評判が良く使い勝手の良い商品ブログ:2016/9/21
あたくしは、心とからだが別々のもののように感じていました。
そうとは意識していませんでしたが、
例えば、心はがんばろうと思うのに、
からだが動いてくれない、悔しい、情けない…
そんなことを何千回となく思った日々がありました。
がんばれないのは、うまくいかないのは、
このからだのせい…とからだを責めていました。
同時に、でもやっぱりからだをうまく動かせない心が悪いんじゃない?
という疑念もあって、心も責めていました。
また、からだに嫌悪感を感じていました。
からだって当然のごとく汗もかくし、排泄もする。
欲しくはない脂肪だってつくし、顔にはシワもシミもできる。
入浴しなければ汚れて臭う。
ニンニクでも食べればかなりの口臭がする。げっぷも出る。
からだの調子が悪い時は吐き戻すこともある。
そういった生理的なからだの反応すべてに対して、
何か「汚い」という感覚がありました。
赤ちゃんや幼い息子は肌もつるつるしててキレイですが、
大人になるにつれて、年をとるにつれて、からだ全体がどんどん汚れていく…
そんなふうにも感じていたように思います。
ですから、大人になることへの拒否感も持っていましたね。
さらに、
どこか自分に生身感がありませんでした。
からだで生きてる実感がイマイチないというか…
自分のことをサイボーグのように感じていました。
ともかく、そのせいだと思いますが、
からだを大切にしようという気が起きませんでした。
頭では、理屈はわかってはいました。
からだをケアすることは大切なことだと…
気持ちのコンディションにも影響しますしね。
でも、からだのケアをすることにあまりやる気を感じられなくて、
がんばってやっていても、ムダなことをしているような、
無意味な感じをよく感じていました。